2009年01月30日

アーティスト・ユニオンの可能性

 いま一番重要な政治的課題は生存権の保証である。労働状況は、そのことを、はっきりと示している。搾取は――声を大にして言うのも憚れるほど――のうのうと常態化している。しかし、問題の核心は生存の権利それ自体に存するのではあるまい。
 社会は、人が単に生きるだけでも相当な負担を要求する。モラトリアムとしての子ども時代を過ぎたすべての人に労働することが求められる。だが、この生きるためという最低限の労働にプラスして、人は生きる目的を求める。ある人は知の欲求を満たすため、ある人は自らの表現を追求し、また、ある人は育児のために、自分の時間を割きたいと望む。

 ここで重要なのは、低賃金の者が労働の場では、時間的にも不利な立場に立たされているということである。つまり、彼女/彼らは、単に生きるためだけに長時間労働に従事することで、自己の時間を失っている。時間を搾取されている。要するに生きる目的への通路が狭められているわけで、これにどのように対処していくかはアーティストにとっても大きな問題と言えるだろう。生存権は、生きる目的のためにこそ必要なのだ。

 例えばビルの清掃業をしているアーティストは、清掃が生きるための労働であり、アトリエに帰れば彼/彼女はアーティストとしての仕事を行う。しかし、ビル清掃の仕事は低賃金であり、収入の道として時間的効率が低い。同様のことは非正規雇用社員の全体におおむね当てはまる。『人間の条件』のハンナ・アレント(Hannah Arendt)は人間の営為を労働(labour)、仕事(work)、活動(action)に分類し、「労働」は生存のための営為、「仕事」は表現行為、活動は公的に寄与する行動と定義したが、これを踏まえていえば、いわゆる3K(きつい、汚い、危険)や新3K(きつい、帰れない、給料が安い)の労働に従事している人びとは「仕事」や「活動」を、「労働」によって圧迫されているのである。

 では、このような状況は、どのようにして改善しうるのか。政治の空白が続く現在、政策的な救済は全く期待できない状況にある。それゆえ、ようやく非正規雇用労働者たちが直接的(非議会主義的)な行動に立ち上がりつつある。こうした状況にあってアーティストは、アーティストとして、この問題とどう取り組むのか。たとえば清掃業を不当に解雇された場合、アーティストとして戦うわけではなく――workとして自覚される営為が同時にlabourの意義を担うような大家名家のケースとは異なり――労働者の一人として戦うのは当然であるとして、しかし、立場としてはそうであっても、闘争の手法についてはアーティストとしての経験を生かすことが可能なのではないか。法廷闘争はともかく、デモ(それはたった一人でも可能である)や団交において、アートは――たとえば死を演じることで生の希求を表現するdie-inや、渋滞の道路を自転車で走行することでクルマ社会ひいては資本主義社会を批判するクリティカル・マスの行動にみられるように――アクティヴかつ有効な新手法を闘争において実現しうるのではないだろうか。そして、この手法という点で他のアーティストとの連携が図れるのにちがいない。

 この連携を作り出してゆく営為は、公的な活動(action)にほかならないのだが、低賃金層は、そのための時間さえ労働によって奪われているのが現状である。では、どうすればよいのか。
 試案としていえば、こうした闘争のためのアーティストのユニオンを実現することが有効なのではないだろうか。人生の目的たる仕事のために時間的、経済的ゆとりを得るための闘争、その闘争にかかわるアーティストの時間的、経済的必要を、いわば相互扶助的に満たすためのアーティスト・ユニオン(artist union)である。いうまでもなく、それは労働組合(labor union)ではない。仕事のための労働運動にかかわる「活動」(action)のための方法を創造する場であり、敢えて名づけるならば「活動組合」(action union)とでも呼ぶべきものだろう。それは、労働と仕事と活動とが立体座標のX軸、Y軸、Z軸のように交差する特異点なのだ。この特異点に立つアーティスト・ユニオンは、アートという自らの仕事を日常的に可能とする条件を得るための労働運動に、アートという仕事によって寄与することで公的活動を行うのである。

 かつて1975年に吉村益信によって設立されたアーティスト・ユニオンは、行政と市場に対するアーティストの権利要求の運動であった。それは、アートの自律性を前提とする一種の労働組合だった。しかし、ここにいうアーティスト・ユニオンは、そのようなものではない。アートを労働運動の手段とすることが、アートそのものであり、また、アーティストの権利要求でもあるような在り方が、ここでは求められるのである。そして、おそらくは、このユニオンの組織原理もまたアーティスティックなものであり、それによって労働運動の目的もまた大きく見直されることになるのにちがいない。

 正社員たちにもリストラの影が伸び、正社員という名の奴隷制度の実態が明らかになるにつれて、非正社員と正社員の連帯の可能性が伸長しつつある。こうした連帯は労働運動にとって、きわめて有効性に充ちているが、このような連帯は、ほんらい無くて然るべきものであることを肝に銘じておくべきだろう。アーティスト・ユニオンもまた然り。このようなユニットは、生の実質を形成する時間を搾取と疎外から取り戻すための緊急避難的手段にすぎないのだ。緊急事態は、しかし、現在の常態でもある。そのような意味で、アーティスト・ユニオンの結成は、アート・アクティヴィズムの実践にほかならないということができるのにちがいない。(澁谷朋恵)
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2008年07月17日

コンタクトレンズが「堕ちる」
   ―《瞬の間》にみる交叉配列としてのタナトス

 現在、京橋のGallery Kでは、複数の作家による日本人の多面的な姿を浮き彫りにする試みとして「日本コラージュ2008」(2008年7月7日-7月19日)と題されたグループ展が開催されている。2期にわたり、計14名の作家が参加するこの展示において、渡辺望は、《記憶の海》(2008)を出品している。床に設置され、大小さまざまなガラス製の密閉容器に収められているのは、無数の「使用済み使い捨てコンタクトレンズ」だ。この作品は私に、今年の4月に行われた渡辺の個展を鮮烈に思い出させる契機となった。4月21日から27日まで、フタバ画廊で行われた渡辺の初個展「瞬の間」は、時間が経過した今もなお、ことあるごとに私の心をざわつかせ、忘れがたい稀有な体験であったことを物語っている。

 銀座の一角にあるフタバ画廊のドアを開け、木製の手すりに身を寄せながら、展示スペースのある地下へと階段を降りていく。画廊の展示空間は照明が一切落とされ、薄暗い。しかし、4面ある壁のうちの1面に、プロジェクターを用いて映像が投影され、その放光だけがやたらと眩しい。そのひとつの壁面全体を用いて、煌々と輝く光によって生成されたオールオーヴァーな青白い画面上には、いくつもの弓なりに褶曲したガラス片のような透明な物質が、ゆっくりと上から下に落ちていく様子が映しだされている。この透過性を備えた物質こそが、渡辺が近年、作品の主なモチーフとしている「コンタクトレンズ」であり、今回の《瞬の間》以外にも、《輪郭の消失、記憶の海》という立体作品や数々のドローイングなど、コンタクトレンズを主題としている作品は、複数に及んでいる。透明な物質が断続的に落下していく映像という、作品自体は極めてシンプルなものであるが、だからこそ、その儚さと同時に美しさを強く感じさせる映像は、作家の感性に裏打ちされたものだろうと予測された。のちに、渡辺が現在、多摩美術大学の大学院生であること、またその展示が初個展であることを知ったときは、その質の高さを鑑みて意外な印象を受けたことを記憶している。

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《瞬の間》 DVD 3分53秒

 幾度も反復される落下運動は、時間の感覚を喪失させるような非現実的な速度を有しているだけに、スローモーションなどの編集加工が施されているのかと一瞬見紛う。しかし、コンタクトレンズが落ちる方向とは逆に、時折光のごとき細かい飛沫が上がることから、この作品が水中内での出来事であり、正確には「落ちる」のではなく「沈む」のだということに気がつく。ただし、その事実が見る者に伝わるかどうかは、作家にとっては瑣末な問題なのだろう。重要なのは、視力補正に用いられる医療器具としてのコンタクトレンズが落下する映像を見るという現象によって浮上する、視覚や記憶に連関する認識の問題ではないだろうか。

 渡辺は、コンタクトレンズをモチーフに取り上げた動機として、工業製品によって見える世界についての違和感を、素直に吐露する。私たちは、コンタクトレンズによって作られた世界を見せられているのではないか、もしくは輪郭をもった世界は、コンタクトレンズによって所有されているのではないか、と。この視覚における主-客関係の転倒は、M.マクルーハンが『メディア論』の中で、衣服や住宅を「皮膚の拡張」であると定義したことに代表されるような、身体の拡張の問題が大きく起因している。その意味において、また角膜に直接接触させながら、製造技術の発達により身体に対する異物としての意識が排除されるという事実においても、コンタクトレンズは、多くの人々にとって無意識化された「眼の拡張」であり、日常において深く身体化されてしまっていることを、渡辺の作品は気づかせてくれる。この極度に身体化されたコンタクトレンズは、装着している時にはそれを見ていることを意識することができない。だからこそ、《瞬の間》を見るという行為は、すなわち「無意識化された身体としてのコンタクトレンズを、もう一度身体から引き剥がし、距離をもって眺めながら、なおかつ眼の一部として意識化する」という、複雑な構造が隠されているといえるだろう。この特殊な事例と類推される状況について、M.メルロ=ポンティは、『眼と精神』の中で、次のように述べている。

人間の身体があると言えるのは、〈見るもの〉と〈見られるもの〉・〈触わるもの〉と〈触られるもの〉・一方の眼と他方の眼・一方の手と他方の手のあいだに或る種の交差が起こり、〈感じ−感じられる〉という火花が飛び散って、そこに火がともり、そして―どんな偶発事によっても生じえなかったこの内的関係を、身体の或る突発事が解体してしまうまで―その火が絶え間なく燃え続ける時なのである。
 身体において燃え続ける「不可思議な交換体系」を出発点として、メルロ=ポンティは、セザンヌの「自然は内にある」という言及に触れつつ絵画の問題へと移行していくわけだが、まさしく、このような「見るもの」と「見られるもの」との可逆的な関係、すなわち身体における交叉配列(キアスム)としての問題を、渡辺が作品内に内包していることは、言及しておく必要があるだろう。

 さらに踏み込むならば、渡辺がコンタクトレンズに記憶を重ね合わせていることも、指摘しておかなければなるまい。かつては、自身のものとして確かに所有していたはずなのに、いつしか忘却によって消失してしまう記憶。記憶はどこに行ってしまうのかという疑問を、渡辺はコンタクトレンズが画面からフェードアウトしていくという暗喩を用いて、視覚化している。そこにあるのは、忘却、消失ということばに過敏に反応する、作家の生への強い渇望だ。しかしながら、作家のことばとは対照的に、作品から立ち上るのは「生の欲動」に対する反作用として位置づけられる、「死の欲動」すなわち、タナトスである。S.フロイトが愛孫であるエルンストの遊戯から着想を得、『快感原則の彼岸』で提唱されるタナトスの概念は、すべての生の目標は死であるとまで純粋化されるわけだが、オルフェウスの冥府下りや堕天したルシフェルを例にあげるまでもなく、コンタクトレンズの落下は、まさしく死という暗い闇に「堕ちる」ことを想起させる。これは「生の欲動」が容易に「死の欲動」に反転するという可能性と同時に、作家の生への欲望が強烈であることをも示唆しているのかもしれない。

 コンタクトレンズは、その小ささや繊細さ、脆性といった性質から、死の連想へと誘う。しかし、作家の死に対しての恐怖が確固として作品に向け照射されているからこそ、それに呼応するように作品に内包するタナトスは、意味を帯びうるといえよう。渡辺望は、コンタクトレンズを記憶の外部装置と捉える独自な視点をもちながら、主-客や生-死といった錯綜する概念をナイーブな感性によって操作することができる数少ない作家の一人である。現代において身体化されてしまったコンタクトレンズの可能性は、彼女によってより拡げられていくに違いない。(森啓輔)
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2008年06月01日

The House展フォトレポート

the house.jpgThe House展(2008年5月19日-5月29日)が日本ホームズ住宅展示場で開催された。サブタイトルは「現代アートの住み心地」となっている。また各棟によって個別の展示テーマが掲げられている。
A、D棟は作品の数が多く、同時に建材が容赦なく目に飛び込み、その情報量の多さに視神経はしびれを感じ、心地よいかどうかと問われれば、居心地の悪さを覚える。これら情報としての作品が並列化され、無意識に取捨選択され、見えなくなった時に住居として住みやすさを感じるのではないだろうか。作品が見えなくなったら見えないままだろうが、それもまた「現代アートの住み心地」だ。

the house_n.jpgN棟は、玄関をはいってすぐの1階部分の一室に平野薫の《red slip》が展示されている。赤いスリップをほぐし、そのほつれた糸は部屋一室をかけて放射状に広がっている。蜘蛛の巣のようなその形状に、赤いインナーウェアは囚われた蝶のように、しかし、堂々と君臨している。まるで蝶は囚われることを望んでいたかのように。
それは柔らかく見えない皮膜に包まれながら生活をする家庭における共依存関係のようだ。

the house_x.jpgX棟の岩井優の《クリーナーズハイ》。ピンクのゴミ袋にゴミが詰められ、「キッチン」には生ごみの腐ったような異臭が立ち込めている。どうやら住宅展示場周辺のゴミ収集所から「収集したゴミ」らしい。廃棄・収集の循環からのズレを狙っているようだが、廃棄・収集は循環ではなく、じつは循環しているのは「生活」であり、いくら「廃棄・収集」からズレようが「廃棄」であり「収集」されるゴミだ。
ともあれ、他の棟にくらべ、X棟には抵抗色の強い作品が展示されている。

世間が巨大な常識の箱だとすれば、家はそのうちのひとつの箱だ。レジスタンスとして「常識」を破壊し、まさしく言葉の通り、壁を打ち破り――しかしこの行為は箱の中の出来事でしかないのかもしれないが――今後、これら70年代生まれの若き作家たちのメッセージがどこまで届くのか期待する。(浦野依奴)

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2008年05月16日

「バイカルチュラル・ヴィジョン――有坂ゆかり・朴香淑」展

小岩プロジェクトスペースにて「バイカルチュラル・ヴィジョン――有坂ゆかり・朴香淑」展(5月5日(月)〜5月18日(日))が開催されている。JR小岩駅から、歩いて1分のところに、小岩プロジェクトスペースはある。普段はオルタナティブスペースとして使用しているようだ。

スペースの主目的が展示ではないため、展示スペースとしては天井が低めであり、平面作品を展示するスペースは限られている。その貴重な室内の壁に有坂ゆかりと朴香淑の油彩画が並んで掛けられている。

同じ人物が描いたのだろうかと思うほど、ふたりの作品は似通っている。呼吸が似ているのかもしれない。しかし、わずかではあるが、ふたつの作品における静と動の違いを感じ取ることもできる。碧い色をまとうふたつの絵画は低めの位置に設置されており、そのため壁は垂直であるにもかかわらず、池の中を覗き込むような感覚で絵と対峙することになる。目の前にあるのは色彩をほどこされたキャンバスであるのに、水底を凝視するように視線を投じると、水面に映る魚影のようにゆらゆらとキャンバスに影が映る。それはスポットライトによって生じた自分の影だ。絵を見るたびに、絵を見ていることを影によって知らされる。

小岩プロジェクトスペースの一部を使用し、銀座芸術研究所「outlet――非作品によるブリコラージュ」展と連動する有坂と朴の「バイカルチュラル・アウトレット」なる「非作品」が展示されている。有坂は古いトランクに額縁やテラコッタ、蝶の標本などを詰めたものを、朴は今回展示したスペースの壁に備え付けられている収納棚のなかにおいて、紙に丸や波線などを規則的に描きそれらのまわりを切り抜いたものを展示している。

これらふたつが収められた棚やトランクには開閉のための扉(口)がある。なにやら銀座の画廊の扉と小岩のスペースの片隅にある小さな扉とがつながっているような錯覚を覚える。
     *
5月11日の夜、小岩のスペースでは有坂・朴展の関連企画として、樋口裕一のダンスパフォーマンスが行われた。
樋口裕一は空気になぶられるように踊る。若さゆえの碧い踊りだ。未熟というわけではない。ただ碧いのだ。きっともう二度と同じ踊りを見ることは出来ない。似たようなパフォーマンスをしたとしても、それは別物だ。

狂気めいた表情で踊る樋口は――しかし決して狂気にとらわれているわけでもなく、狂気を操っているわけでもない――まるで幼子の手元から風船が離れるように、重力の異なるものが体から離れていくように視線を宙に泳がせる。手を伸ばして「それ」をつかまえるように、視線を肉体に戻す。華奢な体つきであるにもかかわらず、体の中心軸に神経を集中させることによって、体の内側に新たな重力の磁場を生じさせているかのようだ。これらを呼吸として静かに吐き出す。動きを交えながら、幾度となく、この呼吸を繰り返す――。

5月17日の銀座芸術研究所での「outlet」展のレセプションにて、樋口のゲリラパフォーマンスがある。ただし、それは確実な情報ではない。(浦野依奴)


小岩プロジェクトスペース 2008年5月5日(月)〜5月18日(日)
http://www.digiart.tv/
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2008年04月26日

アートフェア東京2008 「買う」と「売る」の多様化へ向けて


4月4日(金)から6日(日)まで、東京国際フォーラムにて「アートフェア東京2008」が開催された。第3回目を迎える今回は、東京駅周辺で開催されたさまざまなアートイベント「丸の内アートウィークス2008」の中核をなし、出展するギャラリーは前回より微増し108店を数え、開催前には予想入場者数35,000人を掲げていた。日本を代表する国内最大規模のアートフェアとして、もはやその地位を不動のものとした感があり、特に、昨今メディアを賑わす「アート・バブル」と称せられる現代アートの一端を直接見てとれる現象としても、「アートフェア東京2008」は開催前から、耳目をひいていた。

最終的な入場者数は、プレビューを含む4日間(2008年4月3日〜6日)で過去最高の43,000人を計上し、予想入場者数をはるかに上回り、現代アートの加熱ぶりが証明されることとなった。しかし、過去最高の入場者数に反して、総売上は前回同様10億円と、その盛況ぶりに水を差す結果となり、購買者が比較的単価の低い作品を購入する傾向を浮き彫りにしたともいえよう。それでも、回を重ねるごとに中国、韓国、台湾などアジアのみならず、欧州やアフリカまでも含む海外の投資家やコレクターなどが来場するようになったということも、今回のアートフェアに関して顕著に見出せる特徴の一つであるようだ。会場内を見渡しても、入場者の国籍、年齢や職業などのばらつきが比較的目立ち、これまでのアートフェアにおいて主な購入者層とされる30〜40代男性に偏ることなく、購入者層の幅も着実に広がり、重層的なアートマーケットの育成の成果を感じさせる内容であった。

ただ、そのようなアートマーケットの拡張の流れに対して、ギャラリー側は諸手を挙げて迎合するのではなく、それぞれの判断で対応しているということが実情だろう。中国に代表されるアジアにおける急激なマーケットの成長により、「欧米や中国に比べて作品の質からすれば格安」とされる日本が、いやがおうにも投資対象として好奇の眼差しにさらされる一方、ギャラリーは一過性の投機の不透明さに対しては、どこまでも慎重にならざるを得ない。その対応の差異は、特に今回の「アートフェア東京2008」の展示ブースの差別化に、より強く表れていたように思われる。つまり、これまでどおりギャラリーが抱える複数の作家の作品をブースに入る限り詰め込むという安易な手法からの脱却を、各ギャラリーが模索しているように感じられたのだ。例えば、20代の若手作家であるロッカク・アヤコのライブペインティングのイベントを行い、イベントが始まると同時に作品を完売したギャラリー紅屋や、ブースからはみでるほどの巨大な鴻池朋子の立体作品を展示したミヅマアートギャラリー、さらに、ヤノベケンジの作品を個展形式で展示した山本現代などが、その顕著な例としてあげられるだろう。

アートの市場が不安定であるのは、周知の事実だ。ギャラリーが知名度を上げる手段として、最大限のインパクトを来場者に与え、「アートフェア」という場における一回性の売買に終始せず、継続的な購買層の獲得へとつなげることは、継続的かつ安定的な市場の形成へのひとつのアクションであるのだろう。だからこそ、上記のギャラリーが回を重ねるごとに「発展的に」ブースを展開したことは重要な意味があるように思われる。3回目を迎えた「アートフェア東京2008」における出展ギャラリーによる展示への意欲は数少ないながらも認められ、「買う」側の変化とともに、「売る」側の変化もまた、アートの市場の「多様化」へ向けて必然の流れであるようだ。(森啓輔)
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2008年04月13日

神奈川県立近代美術館ツアーフォトレポート

2008年4月5日(土)に神奈川県立近代美術館にて
〈葉山館開館5周年記念「百花繚乱の絵画」展関連企画
館長が案内する美術館全館ツアー「コレクション」のありかたを探る〉
の第1回ツアーが開催されました。

講師は館長の山梨俊夫さんと「現場」研究会代表の北澤憲昭。
おふたりによって現在開催中の展覧会「百花繚乱の絵画」
(2008年3月29日〜5月18日)に
展示されている近代から現代までの絵画の解説がなされ
鎌倉葉山間の移動を含む午前10時から午後3時までという
なんともすさまじい強行スケジュールで行われました。


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膨大な数の展示物が待っています。まさしく百花繚乱。
鎌倉本館、鎌倉別館、葉山館の3館を使用し
収蔵品10,000点のうちから厳選された400点の大展覧会となっています。

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葉山ではもう2段重ねで展示しちゃってます。

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絵画の主題と歴史の関係性について語る山梨さんとうなづく北澤。


2時間ほど昼休憩としてありますが、
鎌倉周辺のお店は長蛇の列をなして入れず
お昼を食べてる暇などなく移動で終わってしまいました。
逗子の駅前でパンを購入し、
バスを待つあいだに食べようと思いましたが、食べそびれ
ツアー終了後、葉山館の外のベンチで食べていたら、トンビに狙われ
館長の山梨さんに「そんなところで食べたら危険だよ」と
笑顔でやさしく注意されました。
第2回(2008年5月3日(土)10:00〜15:00 山梨俊夫×本江邦夫)
のツアーに参加される方は食事とトンビにはくれぐれもご注意を。
GW中なので今回より移動 電車 が大変かもしれませんね。
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2008年04月04日

101Tokyo

20080404084640.jpg廃校した中学校校舎(旧錬成中学校、現在はお茶美校舎)を使用し、開催された101Tokyo。
各国から集まったギャラリーのブースにはヒトがひしめき、まさしく市場のように活気あふれ、モノの息吹を感じることのできる催しだ。
仮設パネルのせいか作品然とせず、手書きのキャプションが無造作に貼ってあったり作品が床に置かれていたりと、即売会の雰囲気が出ており購買意欲をそそる。
ややもすると学園祭のノリにみえるが、その際どさがこの企画のコアなのかもしれない。
無意識に「作品」を見ることに慣らされたわたしたちに、気に入ったモノを買ってみることも美術の楽しみのひとつなのだと改めて気づかせてくれる。4月6日(日)まで。(浦野依奴)
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2008年03月10日

明るい部屋

20080308184323.jpg小山登美夫ギャラリーで福居伸宏の個展が開催中。
真夜中の東京の風景写真。被写体の中に人影はない。ひとの気配を感じられないことによって覚える不安は都会の明るさに比例して大きくなる。しかし見えない部分にひとがいるのだろう。作品はあのビルのギャラリー群のなかで良い意味で異質な光彩を放っている。オープニングの日はとなりのギャラリーからのパフォーマンスの音楽がけたたましく鳴り響いていたが、沈黙で跳ね返すかのように、福居の写真は物言わぬ静寂を湛えながら、存在していた。(浦野依奴)
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2007年10月17日

Agora Musica 6 冨井大裕「みるための時間」

武蔵野美術大学民俗資料室でAgora Musicaシリーズ第6弾となる冨井大裕「みるための時間」展(2007年10月5日(金)〜20日(土))が開催されている。
展示されている作品は2004年から2007年に制作されたものである。しかし、展示されているものを「制作された作品」と呼ぶには、ためらいを感じさせるものがある。
なぜなら冨井の作品の多くは箸やアルミホイルなどの日用品や、ボルトやナットなどの工業製品などの既製品を使用しているからだ。たとえるなら、それらは工事現場に落ちているようなものであり、美大の制作室の片隅に転がっていそうな何かの欠片である。
既製品を使用している作家は過去、現在にも多数おり、冨井のオリジナルというわけでもない。だからといって展示構成にオリジナリティがないわけではないし、そもそも既製品であるから「作品」ではないということをここで論じる気は毛頭ない。

今回の作品は、加工が最小限にとどめられており、展示台には傘の袋を折りたたんだものや、テラコッタの欠片やパレットナイフの柄、針金をねじったもの、小枝を樹脂の接着剤でつなげ三脚にしたものなどが並び、壁には全部の桝目を画鋲で穴を開けた原稿用紙や一行ごとにカッターで切られた便箋の上部両端をダブルクリップではさみ、留め具にクリップをひっかけ1、2センチほど壁から離したかたちで展示されている。くどいようだが、それらは拾ってきたものを並べたような、どこかにあるようなものである。
とはいうものの、冨井の展示においては「作品」としか呼ばざるを得ない神経が張り巡らされた屹立した空間が存在する。どうしても「作品」として成立してしまうのだ。
展示されているものは小品であり、大きさは手のひらサイズに統一されている。その小ささにもかかわらず、等間隔に置かれた作品のひとつひとつがお互いに不可侵の世界を繰り広げている。また、壁に掛けられた原稿用紙や便箋も紙のぺらぺらした希薄な感じを強調することによって、逆に「作品」の物質感が増し、「作品」としての存在をアピールすることに成功している。

今回、展示のために用意したという展示台は、通常の展示台より、やや高めに設計されている。それはまるで作品を生々しく「モノ」として眼前に突き出すような効果をもつ。そして、作品を見るという行為によって、作品に誘われるがごとく展示台の上を這いずりまわるかのように、作品を舐めまわすように見ていると、まるで見ている自分も俎上に載せられてしまったような錯覚に陥る。それは一度も見たことのない自分の眼球が小品として並んでいるような感覚に近いのかもしれない。見たことのあるようなもの、しかし実際には見たことのないものが、自分では決して見ることのできない眼球を通して交錯している。しかしながらそのような錯覚にもかかわらず、作品は厳然として私の「外」にある。
展示台はコの字になっており、外側から一通り作品を鑑賞したあと、コの字の内側に入って、作品を眺めると、視線が民俗資料室の壁ガラスを突き抜けて外の景色が視野に入ることにより、先述した錯覚は薄らぐが、突き抜けた視線の距離の分だけ、見えない視界が私を中心に張り巡らされると同時に、物理的に展示台の内部に入り込んだ身体は、作品を「見ること」を意識したとたんに取り残される。視界だけは「モノ」も「作品」も包み込み、展示空間を越えて、可視の限界まで、境もなくとめどなく広がっていくにもかかわらず、身体は置き去りにされたままだ。

13日に終了したASK? art space kimuraでの「αΜプロジェクト2007 ON THE TRAIL Vol.2 冨井大裕」展は、民俗資料室での展示とは一風変わっている。個々の作品からの張り詰めた空間形成とは異なり、画廊全体をやわらかく構成している。アクリル板の間に色鉛筆をはさんで積み重ねた作品やスポンジを積み重ねた作品、穴の開いた金属板にカラフルなスーパーボールをはさみ積み重ねた作品、これらの「作品」の間を「ためらいもなく」歩むことを促している。導線をつくることは展示をする者にとっては当然の作業であるが、冨井の導線は鑑賞者に疑いを抱かせないという点において緻密だ。そして、一見、正反対に見える2つのギャラリーによる展示は空間を支配しているということについて同じ原理が働いているといえる。

冨井は空間を彫っている。見る装置として、「モノ」を設置し、誘い込まれるように冨井の用意した空間に鑑賞者が入り込む。そこに鑑賞者が人形(ひとがた)として刻み込まれたようにみえたとしても、しかし、それは錯覚だ。空間に入り込もうとしても、または逃れようとしても、どうあがいたとしても「見ること」において、依然として”私”は作品の「外」にいるのだ。 (浦野依奴)
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2007年07月05日

「bicameral world ふたつでひとつの世界。」レポート
     ――または松本力 試(私)論

数百人もの人間を搭載した全長何十メートルもあるジャンボジェットが軽々と空を飛ぶのを見ても今更なんの感慨もわかないのに、八谷和彦の手製の飛行機が数メートル宙に浮かんだだけで思わず歓声を上げたくなる。それはなぜだろう? 昨年初台のICCで「OpenSky 2.0」展を見て、一番強く感じたのはそのことだった。もしかしたら「アート」と呼ばれるものの秘密の一端が、そこにあるのかもしれないと思ったからだ。

人間が空を飛ぶ。考えてみればそれは奇跡だ。文明の恩恵に首までドップリ浸かっている我々は普段忘れているけど、人間が空を飛べるなんてまるで魔法だ。ナンデモナイコトのように搭乗手続きを済ませ、ナンデモナイコトのように頭上遥かを行く機影を眺めているけれど、でも空を飛んでいるのは紛れもなく「人間」なのだ。八谷の手製飛行機の飛翔に思わず息を飲んでしまうのも、「人間は空を飛べる」という奇跡的な事実を、その僅かなフライトがあらためて我々に気付かせるからではないだろうか?

描いた絵が動き出す、これもまた奇跡だ。
それでもそんな魔法のような出来事を、我々は毎日何の感動もなく目にしている。今更テレビや映画でアニメーションを見て「描かれた絵が動く」というそのシンプルな事実だけに驚愕することが出来るのは、よっぽどメディアから隔絶された生活を送っている「未開人」だけだろう。
しかしそれは間違っているのだ。圧倒的にマチガッテいるのだ。「描いた絵が動く」というのは、やはり奇跡であり、魔法のような出来事なのだ。我々はその大切な事実を決定的に忘れ去って(あるいは忘れさせられて)いるだけなのではないだろうか?

松本力は、その「奇跡」を一途に追い求めているアーティストだ。
画家でありアニメーション作家である松本の活動は、展覧会だけではなくワークショップ、VJ、異ジャンルのアーティストとのコラボレーションなど多岐に渡る。しかし彼がその多彩な活動のなかで追い求めているのは、常に「描いた絵が動き出す」というその「奇跡の実現」のように思われる。

去る6月30日土曜日、銀座のApple Storeで行なわれたイベント「bicameral world ふたつでひとつの世界。」の第2部で、松本のトーク&パフォーマンスを見ることが出来た。
その内容は、彼がいつも行なっているエレクトロニカ・バンドのオルガノラウンジとのVJライブを中心に、パフォーマンスのあいまあいまに松本の自身の作品についてのトークが差し込まれるというもの。とつとつと語られる松本のコトバひとつひとつは、ともすれば意味を成さずにバラバラになってしまいそうな危うさを孕みつつも、彼の制作と活動の核心に杭打つ重みと深みを有していた。

「絵はアニメーションで、絵はアニメーションにするために描いていて、だからアニメーションは絵で、絵はアニメーションなんです…」という松本の唐突な独白からパフォーマンスはスタートする。堂々巡りをしているようなたどたどしい言い回しが観客の笑いを誘うが、しかしそれは松本の全活動を総括している台詞でもある。
長ーーーーーい紙に描かれた絵を手製のマシンでぐるぐる巻き取りながらその様子をモニターに映し出す絵巻物マシン、藁半紙に鉛筆で描かれた手描きのコマを撮影して作ったアニメーション、松本の作品にはいつも絵が動き出すその瞬間への新鮮な驚きが篭められている。
しかし、それはアニメーションの仕組みが生まれた時代や地点への「回帰」という意味ではない。彼の作品はレトロな趣やノスタルジックな感覚を常に纏ってはいるけれども、それは決して懐古調の後ろ向きなものではないのだ。むしろ松本の活動は、いつも「未来」のほうへとラディカルに向かっている。

オルガノラウンジとのライブではいつも「チカラタイム」という松本一人によるパフォーマンスの時間が差し込まれる。そのパフォーマンスの様子を言葉で説明するのはとてもムズカシイのだが、映像に合わせて松本が鉄琴を乱打したり、奇声を上げて弁舌をしたり、飛んだり跳ねたり踊ったりと、パッと見アタマのおかしい人がワケノワカラヌコトを喚き散らしているようにしか見えない。
オルガノラウンジの奏でるどこか儚げで、それでも芯の強さを併せ持つ音楽と、ボーカル本多のともすれば消え入りそうな朴訥とした喋りに挟まれて、あきらかに松本のそのパフォーマンスは異質であるのだが、不思議と浮いているという感じはしない。むしろそれは、あるべくしてそこにある。松本によるとオルガノラウンジと出会う以前は、この「チカラタイム」がライブの主体だったのだという。

松本は絵を描いているとき既に頭の中で音楽が鳴り響いているという。だからライブでは鉄琴を叩き、唄い、叫び、それを伝えようとしているのだ、と。また松本は「ライブ」ということにこだわっているように見える。再生された映像に彼は、ナマに発する音やコトバ、身振り手振りを、半ば強引に足していく。
一見不可思議な彼のパフォーマンスだが、松本の意図は明らかだろう。多分、彼は絵を「動かそう」としているのだ。
もちろん投影されているのは事前に作成されたアニメーション素材なので、動画としての絵は動いている。でも、それではまだ不十分なのだろう。おそらく松本は自分の描いた絵にホントウに生を吹き込み、単なる視覚のイリュージョンではなく「ホントウに動かそう」と思っているのだ。
編集されたアニメーションは決まった方向の時間に向かってしか動かない。松本はそれをループさせ、VJによってリアルタイムで編集し、時間の一方向性を壊そうとする。でもそれだけではまだ足りないのだろう。それではまだホントウに絵が動いたことにはならないのだ。

松本の奇異なパフォーマンスは描かれた絵に生を吹き込み、ホントウに彼らが動き出すための儀式であり作業なのだ。手動の「絵巻物マシン」や他者を交えてのワークショップと同じく、機械的に再生されるのみの映像に人の手による生身のナニカを付け加えることによって、彼はそこに「奇跡」を起こそうとしているのではないだろうか?
もちろんそれは傍から見れば滑稽な姿でしかない。それは空を飛ぼうとドン・キホーテ的な苦闘を重ねる人間の姿にも近い。しかしそんな松本の奇矯な姿に笑わされつつも、突然肌がぞわと粟立つ瞬間が、彼のライブではいつもやってくる。それはきっと人力飛行機が重力の束縛を離れ宙に浮いたときのように、描かれた絵がホントウの生命を持って「動いた」瞬間なのだ。そのとき我々は、きっと時間の向こう側を覗いている。

オルガノラウンジと松本の共同作業も興味深い。オルガノラウンジのPVを松本は担当している(松本の側から言えば松本のアニメーションの音楽をオルガノラウンジが担当している、ということになるらしい^^)のだが、通常のPV制作とはまったく異なり、両者の間で制作に当たっての打ち合わせは一切行われないのだという。タイトルすらも決めないまま、松本はアニメーションを、オルガノラウンジは音楽をそれぞれに制作して、それをそのまま併せるだけ。なぜかいつもそれでうまくいくと言うのだが、これもやはり奇跡のひとつだろう。映像と音楽は、出会うべくして出会っている。その出会いの場所は、時間の流れをも超越した、奇跡がまだ奇跡のままに持続している世界に違いない。

松本の描く絵は動く。そして目紛るしく変容する。ひとつの形に、ひとつの場所に、ひとつの時間に留まらないことこそが、松本のアニメーションのアイデンティティだと言える。
絵は動き、変容し、そして時間の流れをも変化させる。過去も、未来も、世界も、宇宙も、すべてが同時にそこにある、そんな世界を彼はいつも垣間見せてくれる。

人間は空を飛ぶことができる。
描いた絵は動き出す。
世界は決してひとつだけではないし、時間も一方向だけに流れているのではない。
奇跡はいつもそこにある。ただそれが見えなくなっているだけなのだ。
想像力豊かなアーティストたちの全身を使った生身の飛翔によってそのことに気付かされるとき、我々はその存在の重みとかけがえのなさを、そして「それを見えなくさせているもの」の存在をも、改めて思い知るのだ。(水野 亮)


「bicameral world ふたつでひとつの世界。」
Apple Store Ginza 3F Theater(2007年6月30日)
http://ginza.keizai.biz/headline/423/index.html
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2007年06月19日

水野亮展「物置」
    ―《名無し》の自律性、ならびに存在可能性について

 武蔵野美術大学敷地内に位置し、建築家 宮下勇によって基本設計が行われ、2005年に竣工した鉄筋コンクリート造り3階建ての13号館は、地上から屋上まで緑が敷きつめられた栽培用ネットや、テラスを越え出るかたちで植樹された巨大な樹木など、緑との融和への配慮が細やかになされている。その2階に併設された民俗資料ギャラリーは、壁面二面がガラスに覆われており、モダンな外観に即したフラットで無機質な空間として、これまで健全にその機能を果たしていた。
 今回、水野亮が行った企画展「物置」では、生活用具としての民具が元来民俗資料室に保管されることで保持していた資料性が剥奪され、企画者吉原沙織が述べるところの「アノニマスな状態」へと還元を経る過程を伴ってギャラリーへと持ち込まれることが、展示空間成立への重要な要素となっている。しかし、忘却された民具固有の記憶の痕跡のみならず、資料性さえもが再度白紙化された大量の民具によって埋め尽くされた空間内に作品が配置されるという構造は、モダニズムの遺物として透明性を備えたギャラリーが本来もつ無名性とは対局に位置する、極めて不透明で土着的な性質への変態であり、鑑賞者にある種の戸惑いを感じさせずにはいられない。

 だが、今回の企画を主催する民俗資料室、ならびに基底としての企画「Agora Musica」について考慮するならば、状況はいささか別となる。そもそも現代へと至る民俗資料室が形成される契機となったのは、1966年に武蔵野美術大学で民俗学者 宮本常一により「生活文化研究会」が組織され、生産用具から生活用具まで様々な民具の調査・収集が開始されたことに由来する。宮本を中心に収集された民具は、紆余曲折を経て現在実に9万点を数えあげ、膨大な数ゆえに雑多で未整理な状態にありながらも、その多くが記号化を経て資料としての価値変換が済まされ保管されている。そのような美術の制度において「下位」もしくは「外部」に位置し、生活に密に関係性を持ちえながらもその記憶は既に遠い過去へと埋没してしまった民具と、現在進行形で現代を活動の拠り所にする作家の出会いの場として「Agora Musica」を捉えるならば、民具によって形成された「物置」における作品との出会いとは、封殺された歴史の再生であり新たな記憶の攫取であるからこそ、実に幸運な出会いに違いない。この文脈において初めて、ギャラリーに所狭しと堆積された民具たちは、現代との交接という意味を帯び始める。

 水野は、これまで《Funny doll 1000》(1999)、《向こう側 other side》(2003-2004)といった平面作品を中心に、視る者を圧倒する数と質量をもって壁面を埋め尽くす作品を多数生み続けてきた。そこには自身が社会学を修めたことによる、社会というシステムが再帰性を伴って私たちを絡め続ける現代病的宿世からの直感的な逃避、もしくは離脱の行為として、制作の要因が根拠づけられるかもしれない。ともあれ、そのような膨大な作品数により作品の強度を保持し続けた水野は、今回、自身初の彫刻作品として、《名無し》(2007)を生み出した。《名無し》もまた、ゆうに500を超える膨大な数に及ぶことで数量的な造形的強度を備えており、天井から吊るされた裸電球に淡くそのアンフォルメルな姿態が照らされ、箪笥やちゃぶ台の陰に密やかに潜みながら、空間の至る所でその遍在を静かに主張する。水野曰く、《名無し》が女性漫画家 漆原友紀の『蟲師』に登場する「蟲」にその概念を依拠するならば、まさしく《名無し》とは「生命の原生体に近いもの達」(註1)であり、「そこにただ在るだけの生命」(註2)として「物置」にいる限り存在が許される、儚い存在だ。このような《名無し》が、ふいに私たちの背後に潜んでいることを無意識に予感させ、造形物としての「作品」ではなく「極めて生命に近しい存在」であることを鑑賞者に錯覚させることへの問い掛けこそが本論の主旨であり、その背景には、その数に拠るところの造形的強度のみならず、水野自身の極めてレトリカルな展示形態が意識作用に影響を及ぼしている可能性が示唆される。

 かつて水野は、自身が作り出した作品を「俺とは別の人格」を有した「こども」ではないかという疑問が、脳裏から離れないことを独白している。作品の自律性に対する錯覚の端緒としては、まず前提としてこのような作家の作品に対しての撞着が、《名無し》に反映されている可能性が指摘できるだろう。しかし、それ以上に今回の展示形態が次にあげる二点において巧妙に構築され、その限定化された特殊な場に《名無し》を生息させていることこそが、何にも増して存在可能性への必要条件であるように思われる。
 第一にそれは、彼ら(作品である《名無し》に対して、もう私は「彼ら」といわざるをえないのだが)の放つ微々たる動勢を伴った仕草の所以だ。電球光に晒された彼らは、仄かな光の効果と鑑賞者が無為に生み出す影が為に、その形態の輪郭さえも予測を困難にさせながら、身じろぎもせず佇んでいる。しかし、ちゃぶ台の上に丁寧にしたためられた水野自身による直筆の手紙が、鑑賞者へと間接的に働きかける作用によって、それまで展示台だと認識されていた箪笥が、実は干渉可能な装置であることが初めて鑑賞者に意識されると、鑑賞者の手は自ずと箪笥を開く行為へと促されていく。そして箪笥の戸棚が鑑賞者の手で開け放たれるという過程を経ることで、彼らはその肢体を、民具が体内に内包した歴史を思わせる軋みに重ね合わせながら、小刻みに震わせ呼応するのだ。この秘めやかなる応答が鑑賞者の耳によって知覚されることは、《名無し》が軽量の紙粘土に墨で彩色された作品としての量塊を報せることなどでは決してなく、特殊な環境に封じ込まれた存在であるがゆえに、逆説的に生命の片鱗に触れさせる契機となりうる。これこそは、《名無し》の淫らでもあり厳かな、生命としての存在の表明に他ならない。
 そして第二に重要であるのが、様々な額に装丁され、各所に点在して飾られている《名無し》の写真の存在だ。これらの写真が、彼らを中心としてフレームに縁取られた真に正統な記念写真であり、「portrait」としての役割が効果的に機能するがために、鑑賞者は背景にそれを撮影し彼らを慰撫する者の存在と、過去に確固たる存在を伴った彼らの歴史の断片を感じざるをえない。これは写真という媒体が、空間の切断である以上に、「《それは=かつて=あった》」(引用部傍点)(註3)という時間の切断としての指示作用を果たすがゆえの、過去性を備えた被写体の顕在化であろう。こうした場の特殊性によって、かつての作者と作品という「絶対的な支配の関係」(註4)を超越し、作品に名が付けられないがために《名無し》と名付けられた「か弱き者たち」は、これもまた水野によって創り出された「物置」という限定的な空間の中で、民具とともに過去と現代との交錯を繰り返していきながら、その自律性、ならびに存在可能性が担保されている。

 しばらくして民俗資料ギャラリーの空間に慣れてくると、数々の設置された民具は、何も価値や希少性を感じさせるものばかりではないことにふと気づかされる。ポリバケツや壊れた傘、海苔の空き缶のような資料としてさえも価値をもたず、「どうでもいい」と思われるガラクタにしか見えないものが巧みに散りばめられた空間は、無名性を獲得したことによって、鑑賞者が過ごしたかもしれないかつての遠い「生活世界」という既視感を誘発させる。そのようなガラクタにさえも静かに寄り添い、同調して共生する《名無し》たちもまた、此処ではない何処かにおいては、私たちにとって民具と同じように取るに足らない「どうでもいい」存在なのかもしれない。しかし、生活用具が私たちの日常の成立にとって決して欠くことができない構成要素であるように、日常において意識されない「どうでもいい」存在ほど大切な存在であることを、私たちは確かに知っている。「物置」とは、生を享受したその瞬間から愛に充足した希有な《名無し》が、忘却された民具とともに時を刻むという因果律の果てに生まれた空間であり、鑑賞者にとってもかつて大事な存在に囲まれていた「生活世界」と今との縫合へと誘われる、極めて多幸な居場所ではないだろうか。

引用文献
註1 原作・監修 漆原友紀 編著 アフタヌーン編集部『蟲師 Official Book』講談社・2006年・P.48
註2 同前・P.50
註3 ロラン・バルト『明るい部屋 写真についての覚書』みすず書房・1985年・P.94
註4 佐々木健一『タイトルの魔力 作品・人名・商品のなまえ学』中公新書・2001年・P.60

武蔵野美術大学大学院芸術文化政策コース1年 森 啓輔
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2007年01月16日

物見遊山のアート?―Art@AgnesS2007 潜入レポート


1月14日の日曜日、現代美術系のギャラリーが集まってそれぞれイチ押し作家の作品を展示する大規模アートフェア、Art@Agnesに出掛けてきた。場所は神楽坂のアグネスホテル・アンド・アパートメンツ。ホテル全室を借り切って、各ギャラリーにつき一室のスペースをブース代わりに与えるという一風変わった趣向のイベントだ。今年参加したギャラリーは全部で31軒、90年代以降に開設した新しいギャラリーが比較的多めのようである。(中には去年立ち上げられたばかりのギャラリーもある)。ワコウ・ワークス・オブ・アート、ケンジタキギャラリー、小山登美夫ギャラリー、シュウゴアーツ、レントゲンヴェルケなど、現代美術の世界でよく知られた有名画廊の名前が並ぶ。東京だけでなく、大阪の児玉画廊、名古屋の白土舎など地方のギャラリーも加わることで、少しばかりアートシーンのバリエーションも出ているようだ。
混雑を避けて早い時間に訪れたにも関わらず廊下は行き交う人々でいっぱい、全フロアの全室で観覧者が出たり入ったりを繰り返すようなせわしない状況である。展示は2階から5階まで、部屋の広さは28平米から30平米前後までと様々だが(さすがにスイートルームでの展示はなし)、なにしろダブルベッドやソファなど備え付けの調度品だけで相当の面積を取っているので、作品を並べるスペースは確保できても観覧者の動線を確保できるほどの余裕がない。入り口が狭い上に大抵どの部屋にも入ってすぐ脇にバスルームが構えてあるので、入り口のドアとバスルームのドアがつかえて観覧者の行く手を塞いでしまうことも。ひっきりなしに人が訪れるため、室内にもあまり長く留まっていられない状態だ。イベントそのものが盛況で混雑しているというよりは、ホテルのこのスペースでアートフェアを行うことの無理が端的にあらわれている、といったところだろうか。
確かに、掘っ立て小屋のような寒々しい仮設会場でアートフェアを行われるよりも、ホテルの美しく整備された空間の方が進んで足を運びたくなるような魅惑がある。現代美術の作品を購入して自室に飾りたいコレクターに対しては、ホテル内での作品の見せ方・飾り方が「現代美術のある生活空間」の理想的なモデルを提供することだって有り得るだろう。(理想は理想にすぎないとしても)。ホテルを使うことでモデルルーム効果くらいは望めるのではないかと考えられる。
作品をいかに空間にしつらえるかがポイントなわけだが、タブロー系はおとなしめの小品に絞られるかソファやベッドに寝かせられるパターンが多く、あたかも作品がその場で投売りされているような雑っぽさが強く出てしまっていた。取り扱い作家を売り出す機会なのだからファイルやDMが多く置いてあるのは当然かもしれないが、ベッド一面にファイルを並べているギャラリーなどを見ると、何のためのホテル会場なのか、と気分が萎えてしまう。これでは即売会と大差ない。
宣伝にせよ売買にせよ、アートフェアで作品を世に送り出すことについて、それぞれのギャラリーの思惑も方々を向いているように見える。いちばん多いタイプは、取り扱い作家の作品をとにかく数多く詰め込んで「展示的」であるよりは「カタログ的」プレゼンテーションに傾こうとするギャラリー。それから、中途半端に「展示的」、つまりふだん自分たちのギャラリーで行っているような、インスタレーション的な趣きを持った空間への志向をどこかで引きずっているギャラリー。そのはざまで焦点がブレたような展示を行うギャラリーも少なくはない。混雑で狭苦しく感じる会場のせいで一点一点をじっくり見る余裕がなく、草間や奈良といった大衆的に知られているアーティストも若い無名のアーティストも等価に通り過ぎてしまうので、そうなると記憶に残るのはどうしても、多数の作家をセレクトすることをやめて内藤礼一人に絞ったギャラリー小柳や、バスローブを羽織った男女が室内をひしめくパフォーマンスを行ったボイスプランニングなど、「展示的・インスタレーション的」方向性を明確にあらわしたギャラリーに限られてしまった。
このような現象が起こるのは、ホテルの空間がアートフェア向きでないため…という以上に、一般に公開されたことで出品するギャラリー側にとって狙いが定めにくいイベントに変わってしまった、ということではないだろうか。若い人たちを中心に多くの観覧者が訪れていたが、ひとつの場所に長い時間足をとめる人はほとんど見られなかったし、購入目的で作品を品定めするにしてはあまりに狭苦しい場である。また、ホテルの構造上(各フロアに狭い廊下が一本のみ)会場を回る順路が限られていて、巡回の自由度が狭められていることも単調さの原因のひとつだろう。訪れる身にとっても、焦点がぼやけずにはいられないムードが漂っているのだ。アートフェアなら自分の知らない作家の作品に初めて出会う喜びも経験できるはずなのに、「知りたい」という欲求が成長する以前に「大量に雑多に並べてある物(ブツ)を何となく見て回る」程度の意識で終わってしまう。好奇心も購買意欲も育たないこのイベントにおいて、アートは物見遊山の対象でしかなかったようだ。(moranbon)

Art@Agnes
1/13(土) 11:00〜19:00
1/14(日) 11:00〜18:00
会場:アグネスホテル・アンド・アパートメンツ
http://www.artatagnes.com/info.html
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2007年01月12日

リゾーム状の楽園
     ――永岡大輔 Awesomeレジデンス帰国報告会レポート



去る1月8日成人の日、トーキョーワンダーサイト本郷で行われた永岡大輔の「Awesomeレジデンス帰国報告会」を見て(そして体験して)きた。
これはトーキョーワンダーサイトが行っている昨年青山にオープンした新施設のレジデンス機能を活用したアーティスト交換プログラムの一環で、永岡はアートフェスティバルに参加するために昨年11月オーストラリアのパースに派遣された。
今回行われたのは、その帰国報告と現地で永岡が行ったワークショップの再現である。

ちなみに俺は「アーティスト・イン・レジデンス」というものの効能というか存在意義がいまひとつヨクワカランと常日頃から思っていて(だいたいカタカナ語なところがなんか胡散臭い!)、「行政がお金出して海外からアーティストを呼んで滞在させたり、海外に派遣したり、なーんかそこまでしてあげる価値ってあんのかな〜」などという世知辛い懐疑心を持っていたのだけれども、今回の永岡の場合アートフェスティバルへの参加という明確な目的があったためか、一ヶ月に満たない滞在期間中に、映像作品を一本制作し、広めの部屋を一つ全部使った展示を実現させ、9回連続のワークショップもこなすというかーなりのハードワークだったようで、俺が抱いていた「アーティストの公費を使った周遊」といったバカンスなイメージwとはかけ離れたものだったらしい(…というか俺の持っているイメージが偏っているのかしら^^;)

ところで「レジデンス」もいまひとつピンとこない用語だが、「ワークショップ」(これもカタカナ語!)もまたピンとこない&なんとなく胡散臭い単語である。
「ワークショップ」へ俺が感じる胡散臭さとは、その語からのイメージの掴み難さとともに、昨今のワークショップの流行のなかに俺が、なにかアート効率主義というか、アートに手っ取り早く実用的な「成果」を求める世の風潮を嗅ぎ取ってしまっていることにも因っている。それが「アートセラピー」だろうが「アートによる町興し」だろうが「アウトリーチ」だろうがなんだろうが、モノとしての「作品」よりもアーティストの「活動」のほうにより重きを置こうとする昨今の流れには、アートに対してすらも目に見えるワカリヤスイ「成果」をその評価基準にしようとする「余裕のなさ」と「拠り所の不確かさ」を感じてしまう。一歩間違えればそれは、展覧会や美術館の評価を興行収益のみに求める愚挙と軌を一にする危険すらも孕む。
しかしもちろんそれは「ワークショップ」そのものの問題ではないし、すべてのワークショップがそうした「成果主義」的な求めに応じて為されているわけでもない。重要なのはその意味合いであり、それは個々のワークショップごとに、そして個々のアーティストごとに当然異なるのだろう。良質なワークショップはきっと、「即効性」も「成果主義」も関係なしに、他のなにものにも変えがたい稀有の体験を、参加者とアーティスト自身に与えるものなのだから。
そして永岡がパースで行ったワークショップはそんな幸福な例の一つだったのかもしれないと、今回の報告会に参加して思った。

永岡の映像作品の制作手法は変わっていて、それはドローイングの軌跡そのものから成り立っている。
一枚の紙の上に鉛筆で描いたイメージを、消しゴムで消してはまた描き、消してはまた描きして、どんどん変容させて行く。その過程を(それを描いている永岡の手ごと)ビデオに収め、早回しして再生するとあたかもイメージが動いているように見えるアニメーションになるという仕組みだ。人間が、動物が、モノが、そして世界が、永岡の手の動きとともに変容し、動き出す。
永岡がパースで行ったワークショップも、基本的にはそれと同じ手法に拠っている。
一枚の紙を壁に貼りビデオを回す。まず手始めに永岡が舞台となる背景と最初の数コマを描いてみせ、参加者の一人にバトン(は実は消しゴムなのだがw)を渡す。バトンを渡された参加者は、その「つづき」を描いて行き、自分の気の済んだところでまたバトンを別の参加者に渡す。途中、永岡の手によってバトンの数が増やされ、だんだん絵を描いている人間の数が増えて行く。制限時間30分の終盤には、紙の上のイメージは多数の手によって凄まじい勢いでその変貌のスピードを上げていく…。

パースではおもに小学生から中学生くらいの子どもたちがクラス単位で、一回につき10人未満から多いときには40人ほどで、このワークショップを体験したという。はじめはみんな緊張して静まり返ったなかではじまるが、最後はいつもやんややんやの大騒ぎで終わるのだとか。
今回TWS本郷で再現したワークショップに参加したのは、俺を含めほぼ全員がいい歳した大人たちだったのだが、その様子はあとでビデオで見せてもらったパースの小学生たちの様子と大して違いはなかったw。はじめは「いや私は見ているだけで・・・」と固辞していた人も、最後には鉛筆を走らせるのに夢中になっている。ワークショップの宣伝文句には「年齢を問わず楽しんでいただける映像制作」とあったが、その看板に偽りはなかったようだ。

先にワークショップにすぐ結果の見える成果を求めることへの懐疑を書いたばかりでその舌の根も乾かぬうちになんなのだが、このワークショップ、「教育用のツール」としても極めて優れていると感じた。
子どもたちに個性を持つことを強迫的に迫った結果、自己中心的な間違った「個性」が蔓延り公共性が失われ、それを繕うためにあわてて手垢にまみれた「愛国心」なんかを取り出してきてスッタモンダしているというのがどっかの国の教育問題事情だけれども、永岡は一アーティストの直感と想像力でそれらの諸問題を軽々と飛び越してみせている。

このワークショップの過程においては、参加者は自分の個性を否応なしに出さざるを得ない事態に直面する。それは誰かに強制されたり自分で意識したりして作った「個性」ではなく、むしろ非常事態に直面したときに咄嗟に出てしまう反応のような、自分でも気付いていない本来的な「個性」だ。
しかもその個性を自己チューになってどんなに声高に主張しようとしても、それは他人の手によっていとも簡単に消され、変貌され、同化されてしまう。
ポイントはやはりこれがアニメーションである、ということだろう。全員が加算的に筆を加えて出来上がる共同作業の静止画と違い、この集団動画制作においては、絵を描く技術の巧拙のヒエラルキーは存在しない。どんなに絵の上手い人も、下手な人も、玄人も、素人も、最終的には全てがないまぜになったひとつのイメージに飲み込まれ、均等な存在になってしまう。それは無力感と同時に一体感や爽快感も感じる、なんとも不思議な体験なのである。
下手な教訓など導き出されても興ざめなだけだろうが、このワークショップは、本来漠然としていて掴みどころのない「個性」というものの、「共同体」というものの、そして「社会」というもののイメージを、知らず知らずのうちに体のなかに焼き付けてしまうような、そんな「教育用ツール」として極めて有効に機能するような気がする。体感してみて思わずそんな感想を抱いた。

しかし実は俺の関心はそこにはない。
「教育問題」もワークショップの「有効性」も、本当はどーでもいい。
同じ絵描きとして俺があくまで関心があるのは、「これらのワークショップと永岡個人の作品が、いったいどういう関係にあるのか?」という、ただその一点のみだ。

面白いことにこの「ドローイング・アニメーション」は、手法としては同じだけれども、「役割」としては永岡が個人でおこなった場合と多人数のワークショップで行った場合とでは、その様相がまるで異なってくる。
永岡が個人的な作品制作にこの手法を用いる場合、それは永岡自身の内面を掘り下げて行くスコップのような役割を担う。村上春樹が自身の執筆への説明でよく用いるキーワード「井戸掘り」に当て嵌まるような作業だ。永岡はこの手法によって自身の内面世界を掘り下げて行き、そしてその最深部で「この世界」の核へと触れようとする。それは内側を掘り進むことによって、最終的に世界全体へと逆アクセスするようなアクロバティックな作業なのだ。
対してワークショップにおいて多人数で行う場合、それは「世界のなかにおける自分」を発見するためのツールとして機能する。参加者はこの体験によって今まで見えていなかった自分とその周りに広がる「世界」とその繋がりを、あるいはその風景のなかに一員として存在する自分の姿を発見する。永岡が個人的な制作で同じ手法を用いるときにベクトルは終始内側を向いているのに対して、ワークショップの場においては外側を向いている。しかし発見するのは個人的な作業においては「(自分の中の)世界」であり、集団で行う場合は「(世界の中の)自分」なのだ。

永岡の作品を論じるとき、その手法の独自性に彼の作家としてのオリジナリティを求めるのは間違っている。手法自体は至極単純であり、むしろ注目すべきはその汎用性の高さにこそある。汎用性の高い手法を用いつつ独自の世界を生み出し続ける、その「オリジナリティ」にこそ注目するべきだろう。
永岡の作品は常に「軽み」を有している。以前はともすればその「軽み」が作品の「深み」を見え難くしている感もあったが、飛躍の目覚しい最近の彼は、「軽み」を「軽やかさ」へと変換し、軽快なステップで見るものを自身の内側に広がる世界の深みへと誘っているように見える。
つまり「軽み」はその手法と身振りに、「深み」は彼自身の内面に広がる世界に、それぞれが属している。その両者が手を結んだとき、観るものは彼の世界の中へと、遠くにありつつ近く、静謐かつ賑やかな、そんな不思議な彼の世界へとごく自然に取り込まれていくのだ。

ではワークショップは、アーティストとしての永岡個人のなかにおいて、どういった位置を占めているのだろうか? そしてそれは彼の個人的な作品と、いったいどういう関係にあるのか?

パースではワークショップ終了後、必ずといっていいほど永岡のもとへと子どもたちが「学校に帰ってみんなでまたやりたいので、作り方の手順を詳しく教えてほしい」と質問に訪れたという。永岡自身もいつか彼ら自身が作った映像を見てみたいと言っているが、このワークショップの「教育用ツール」としての洗練度を考えると、例えばこれがきっかけになってオーストラリアの教育界にスタンダードな教育手法として浸透して行く…なーんて事態だってあながち起こらないとも限らない。
しかし例えそんな事態が本当に実現したとしても、永岡が望むものは考案者として彼の地に名を残すことなどでは決してないはずだ。むしろ彼はツールをコピーレフトし、自らの手から解き放つことを選択することだろう。

…では彼が求めているものはいったい何なのか?

これは俺の想像である。
多分、彼は待っているのだ。
自らの内側を掘り進み掘り当てた、「この世界の核」に一番近いその場所で。
そこに、みんながやって来るのを。
彼の考案したワークショップは、彼以外のひとびとがその場所に辿り着くための地図であり、船なのではないだろうか。

自ら羊に扮することもある永岡の描く世界は、人も動物も植物もすべての生き物が有機的に結合し、ないまぜになって暮らす楽園のようにも見える。
世界で最も美しい街といわれるパースで、日本から来た羊男から地図を手渡された子どもたちは、きっと彼ら自身の「楽園」を見付けたに違いない。
そしてそれぞれの楽園たちは「この世界」の底でリゾーム状に連結し合い、いつの日かこの地球全体をも覆いつくすのだろう。(水野 亮)



永岡大輔 Awesomeレジデンス帰国報告
会期 : 2007年1月8日(月・祝) 〜 1月21日(日)
会場: トーキョーワンダーサイト本郷
http://www.tokyo-ws.org/hongo/index.html
開館時間 : 14: 30 〜 18: 30(最終入場18: 00)
休館日 : 15日(月)のみ
入場料 : 無料
主催 : トーキョーワンダーサイト
関連企画 :
[ワークショップとトーク] 1月8日(月・祝)14: 30〜16: 30(終了予定)
[ワークショップとトーク] 1月21日(日) 14: 30〜16: 30(終了予定)

※なおパースにおける永岡のレジデンスについては永岡+トーキョーワンダーサイト発行の「袋熊新聞」に詳しい
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2006年12月30日

大竹伸朗「全景」展について
    ――水野亮の展評へのささやかな異論

 現場研HP『complex』に掲載された水野亮の大竹伸朗「全景」展の評を読んだ。表現としての「展覧会」に照準して論評する構えに興味をひかれ、また、全体としては共感を覚えもしたのだが、ところどころ引っかかりを覚えた箇所がある。とりわけ結論部分には大きな異和を覚えた。先に、このブログに寄せたレポートの補足として、思うところを述べておきたい。
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 東京都現代美術館を埋め尽くした「全景」展の物量について水野は、次のようにいう。

――物量は物量であり、別に才能があろうがなかろうが、たくさん描けば誰でも物理的には到達可能な地平である。

 ここで水野亮は、「物量が凄い!」という驚きの氾濫に異和を呈しているのだが、物量に対する大方の驚きは当を得ていると、ぼくは思う。「周知の通り、息苦しくなるほどの「圧倒的な」物量を並べる展示を、彼は常のスタイルとしている」のであって、たとえ「事前の予想を下回った展示」であったとしても、「物量」戦術に何ら変わりはない。問題は、ボードレール流の「驚き」の美学に立ち止まって、集積された「物量」の意味――あるいは、これまでの「物量」戦術との差異――にまで認識を透徹させえないジャーナリストたちのマヌケさであろう。彼ら/彼女らに比すれば次の水野亮の指摘は透徹している。

――むしろ大竹ならばもっと「圧倒的」な展示もできたであろうに、なぜ現代美術館のあの空間に自らの半生を無理やり嵌め込むような、抑揚を欠いた年代順による淡々とした展示にしたのか?そこにこそ、この展覧会の核心はあるような気がする。

 「現代美術館のあの空間に自らの半生を無理やり嵌め込むような」展示について、ぼくは、先のレポートで「パラノイアックなまでに急進化したナルシシズム」を指摘したのだが、この指摘は、「抑揚を欠いた年代順」の展示や物量的な展開よりも、むしろ集積にかかわっている。大量に描くことと、集積することとは別の行為であり、自作の集積は――それが本人によるものであれ、第三者に委ねたものであれ――ナルシシズムに深くかかわっていると考えられるからである。
 このような展示について、水野は、友人が語ったという「自分にとって過去のすべての時間は均質だということをいいたかったのではないか?」という言葉を紹介しているが、この言葉は、まさしくナルシシズムの本質を突いている。ナルシシズムとは、自己同一的な循環構造において成り立つものであるからだ。そこにおいては、何も変わらない均質な自己だけが、うっとりと望み見られるのだ。
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 もちろんナルシシズムじたいは決して珍しいことではない。それは何処の誰にでも見いだされる。というより、ナルシシズムは、衣食足りた現代人が抱えている度し難い宿痾であるとさえいえるように、ぼくには思われる。たとえばエステ・ブームは、そうした現代人の病を端的に示している。
 だからこそ、ぼくは大竹のナルシシズムに現代性を指摘し、この展覧会に若者たちを鼓舞する力を見いだしもしたのであった。この点でも大竹の展覧会は、時代の「底」に届いていたということのができるのだ。それが出来たのは、彼が「大芸術家」だからというよりも、徹底して現代を生きようとした――あるいは生きざるをえなかった――からであるのにちがいない。むろん大竹に展開がないわけではなく、ポップ・アートやネオ・エクスプレッショニズムをはじめ、さまざまなムーヴメントを契機とする展開がみとめられるものの、展開は、つねに「大竹伸朗」に還ってゆくように見えるのである。
 ただし、大竹展に見いだされるナルシシズムは単なるナルシシズムではない。向こう三軒両隣や会場をさまよう若い人たちのナルシシズムは慎ましやかに心中に畳み込まれているのを常とする。大竹伸朗は、それを東京都現代美術館の壁や床いっぱいに繰り広げてみせた。あるいは、繰り広げることができるところまでナルシシズムを押し通してきた。ここには余人の追随をゆるさない過剰さがある。それは「平凡でありきたりの「日常」」を越えている。過剰と徹底によって大竹は「突出」しているのだ。集積された物量が、そうした過剰と徹底の類同代理物となっていることはいうまでもない。なにしろ「周知の通り、息苦しくなるほどの「圧倒的な」物量を並べる展示を、彼は常のスタイルとしている」のだからである。
 さて、それでは、このたびの展示における物量の意味を水野亮は、どのように解釈しているのであろうか。
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――彼は「突出したところのない平凡な画家でも辿り着ける極限点」に立っているからこそ「突出」しているのではないか?

――全景展とは、「平凡な絵描きでもこの道を進んで行けば誰でもいつかは辿り着ける場所だけれど、結局実際に辿り着き、そして現在進行形で邁進し続けているのは大竹伸朗しかいない」ということを示した展覧会だったのではないだろうか?

 水野亮が「展覧会の核心」を語った部分である。たとえばパブロ・ピカソの作品を以て東京都美術館を埋め尽くすことは難なくできるだろうが、大竹展の場合、それとは次元が異なっている。「質」や「才能」が問われる次元そのものを大竹は転換していると水野はいうのである。それゆえにこそ、今回の物量作戦は、「予想を下回った展示」でありこそすれ、従来とは異なる重要な意味もしくは表現価値をもちえたというわけだ。他の箇所で水野は、「大竹は敢えて自分の才能を「見せ付ける」スタイルではなく、才能の大きさにかかわらず「絵描きだったら誰でも(理論上は)達成可能な展示」を選んだのではないだろうか」ともしるしている。
 水野のこうした見方は、状況への警戒感に由来している。それはartscapeに寄せられた福住廉の「アイドル!」展の展評に言及していることに示されている。そこで福住は、「誰だってアーティストになれる」という「ポピュリズム」が、「大芸術家を待望するメンタリティ」を反動的に喚起しつつある状況について語っているのだ。
 福住廉が指摘するような状況は、たしかに到来しつつあり、こうした状況に対する異和を、ぼくも福住や水野と共有できる。しかし、それにもかかわらず、大竹の立ち位置が「突出したところのない平凡な画家でも辿り着ける極限点」であるという水野の指摘には異和を覚えざるをえない。
 さきにも述べたように、大竹伸朗のナルシシズムは度を越したところがある。これを以て「大芸術家」の証とするわけには勿論いかないが、しかし、「平凡」であるともいえない。この物量の集積は「非凡」とこそいうべきだろう。なにしろ、このような展覧会を実現できたのは「大竹伸朗しかいない」のだ。それを可能にしたのは、「才能」や「天才」という語で呼ばれる垂直的もしくは内包的な「突出」ではなく、水平的ないしは外延的な「突出」であるとしても、かかる「突出」は、定義上、「平凡な絵描き」のものではありえないし、「突出」によって至りつく「極限点」が「誰でもいつかは辿り着ける場所」であるとは考えがたい。水野は、内でもあり外でもある「極限点」の――それは、ぼくが「底」と呼んだものにほかならない――アンビヴァランスに、もっと思いを致すべきであった。そこは「誰でもいつかは辿り着ける場所」に接していながら、しかし、決して「誰でもいつかは辿り着ける場所」ではないのだ。
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 時代に即応しつつ、そこからあふれ出るような過剰なナルシシズムの拠って来るところ(水野のいわゆる「初期衝動」)が何であるのか、それを突き止めたいと思うほど、ぼくは大竹という作家に関心をもっていない。ただ、凡常ではないナルシシズムの実践を、あたかも「入学したての美大生の「妄想」」のごとくに見せかけ、実践によって至り着いた場所を「突出したところのない平凡な画家でも辿り着ける極限点」であるかのごとくに示してみせたところに、ぼくは関心を抱くばかりだ。そこにこそ今回の展示の意義はあると考えるからである。
 すなわち――「全景」展は、大竹の表現の「質」や、それを可能にする「才能」をレトリカルに物量のなかに相対化してみせることで、大竹の非凡なナルシシズムを観衆のナルシシズムに同期させ、そうすることによって「突出したところのない平凡な画家でも辿り着ける極限点」という幻想を観客に与えたのではなかったか。いいかえれば、芸術上の「ポピュリズム」に荷担するかにみせて、その裏をかき、同時に「大芸術家を待望するメンタリティ」の裏をもかいてみせたのではなかったか。これが、ぼくの見方である。
 水野亮の結論は、次のようなものだ。

――そしてそれは突出した稀有の「天才」を、平凡でありきたりの「日常」が凌駕できるということを証明した、美術史上における「事件」だったのかもしれない。

 しかし、大竹伸朗「全景」展は、「突出した稀有の「天才」を、平凡でありきたりの「日常」が凌駕できるということを証明」してなどいない。この展覧会は、芸術上の「ポピュリズム」を煽り立てる優れてアイロニカルなアジテーションであり、水野亮もまた、展評を再構成的に読むならば、そのことに気づいていることがわかる。それにもかかわらず、これを「証明」と結論させたのは、評者自身の切なる願望か、さもなければ内なるアンビヴァランスなのではないだろうか。これは、しかし、決して評者の欠点ではあるまい。むしろ、作家としての優れた資質の証であるというべきだろう。(kitz)
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2006年12月25日

イメージの物量、ナルシスの重圧
     ――大竹伸朗「全景」展レポート

 大竹伸朗展最終日の夕刻、若い人たちに立ち交じって、東京都現代美術館の、どこかしら縁日じみた会場を一巡してきた。会場のあちらこちらから――場合によっては作品から――発せられるパンクなサウンドが微熱ある身に揺さぶりをかけてくる。以下、作品の記述抜きで、かいなでの印象をしるしておく。
 印刷物として半ば物象化されたイメージの膨大な集積が、絵具やチープな物体たちと相まって物量的に会場を制圧している。時代を追う学びの痕跡が、周期的に見いだされはするものの、それは束の間の外的契機にすぎない。そこから急速な展開が、外的契機を食い破るようにして行われている。
 このようにして実現された物たちが、イメージとアイディアの量に見合う重さを差し引かれた重圧をもって床に壁に繰り広げられているのだが、この重圧は脳内現象の物象的次元への自己展開の結果にほかならない。その展開は実に凄まじい。ジャポニカ種には珍しい押しの強さがある。大竹の仕事は、作家にとって「現場」とは、つまるところ「脳」なのだということを改めて思い知らせてくれる。
 ただし、大竹の物量は単に脳に帰せられるだけではない。脳が肉体の一部であるということを――脳がはらむ無意識の闇が、ついには物質もしくは物体と通じているということをも、その機微とともに思わせずにはおかないのだ。作家の手が、その主要な通路となっていることは造型芸術一般の例にたがわないが、大竹の、せわしなく活動する手の働きは尋常ではない。彼は、とにもかくにも四六時中えんえんと造りつづけているらしく、造型行為が彼の生そのものと化しているかのようなけしきなのである。そのような手の動きは、しばしば印刷物によって誘発されているのだが、印刷物は、脳内現象を肉体を介して物象化してゆく際の核を成しているようでもある。
 手によって実現される物量を、この会場にもたらしたのは――つまり、この膨大な集積を可能にしたのは、パラノイアックなまでに急進化したナルシシズムである。このことは、展示物が年代的には少年期の作画から始まっていることに示されている。限りなく分節されてゆく細部をもつ作品の成り立ちも、そのことを告げている。小品は、この作家の感性の原質が、意外にも繊細可憐なものであることを示しているが、ここにもナルシスの影は揺曳している。
 ナルシシズムとは脳が自らの外皮に愛着することであるから、ここに繰り広げられた物たちは裏返された外皮の延長ということができる。外皮の陥没した一部である網膜に映るイメージと、その物質的次元とを、脳の入り組んだ外皮が愛でる――その愛撫の顛末が、この展覧会なのだ。 
 会場で東谷隆司と邂逅したが、彼は今日までに七回会場を訪れたと言っていた。思えば、大竹の仕事にじかに接したのは彼が企画した「時代の体温」展においてであった。この独異なキュレーターを、かくも惹きつけ続けるものが何であるのか、その一端を、このたびの展観で、ようやく垣間見ることができたような思いがする。
 ホットでいて、どこかしらクールなこのナルシスの物語は、計算可能なものによって支配されつつあるこの時代の底に触れている。「底」というアンビヴァレントな場所から大竹の造型は立ち上がって、夜の美術館を彷徨いつづける若者たちを鼓舞しつづけていた。(kitz)
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2006年12月21日

著作権シンポジウムレポート

2006年12月11日(月)、東京ウィメンズプラザにてシンポジウム「著作権保護期間の延長問題を考える国民会議」(主催「著作権保護機関の延長問題を考える国民会議」事務局)が行われた。
詳細→http://thinkcopyright.org/index.html

構成と出演者は以下のとおり。

第1部
(1)基調講演
 上野達弘(立教大学法学部助教授)
(2)保護期間延長賛否意見講演
 賛成の立場から:三田誠広(小説家)
 反対の立場から:福井健策(弁護士・ニューヨーク州弁護士)

第2部
(1)パネルディスカッション
 パネリスト:
 田中辰雄(慶應義塾大学経済学部助教授)
 富田倫生(電子図書館「青空文庫」呼びかけ人)
 平田オリザ(劇作家、演出家)
 松本零士(漫画家)
 三田誠広(小説家)
 山形浩生(評論家)
 パネル司会:
 中村伊知哉(慶應義塾大学教授、孫際IT財団専務理事)
(2)質疑応答・会場討論

第1部の基調講演では、上野氏が著作権延長問題について、存続期間と保護期間の違いについて述べ、また、1.正当化の根拠、2.平均余命問題、3.著作権制限規定といった3点をあげ、これらは内外的な要因を含んでいるという見解を示した。
次に、三田氏が太宰治を例に著作者の遺族の問題を取り上げ、延長賛成論を示した。著作権延長は人間の権利意識と呼応しており、個人の権利であると主張。それは著作者だけではなく、サポートした家族へも相当の著作権利を与えるべきとの見解。
しかし、体験談として、数年前に著作権が切れる寸前に「星の王子さま」の評論を書いたところ、引用が長いとのことから版元から著作使用料を払ったことがあり、そのときは著作権保護期間は短いほうがいいと思ったと告白。
個人の体験は別として著作者の権利は保護すべきものと主張するが、最終的には創作者は"すこし褒めてほしいのだ"と心情的に訴え、創作者の立場からの意見を示した。
福井氏は反対の立場から、役にたつ利用許諾を考えるべきと主張。(『著作権とは何か――文化と創造のゆくえ』集英社新書2005年は、著作権についてわかりやすく書かれている)

第2部では、最初に司会者が客席に挙手による賛成反対の意識調査をしたところ、ざっとみて客席における著作権延長賛成者1/5、反対者3/5、中立1/5の結果であった。
その後、各パネリストが5分間ずつ見解を述べた。
発表順に、山形氏は反対の立場から、創作者の著作物はミームであり、発想は広がっていくため、著作権でしばることはない。
三田氏は第1部で意見を述べたので、後半のディスカッションにて意見を述べた。
松本氏は賛成の立場で、作家は永遠の浪人であり、命を削って創作活動に従事しているのだから、それをサポートした家族には作家と対等の権利を与えるべきと三田氏と同意見。さらに、子の世代、孫の世代、いまだ見ない子孫にさえも永遠に著作権利を与えるべきとのこと。
古典を応用するのは良いが、現代の作家の作品の著作権が子孫の代で紛失して、第三者が作品をパロディにするのは作家に対する侮辱以外のなにものでもないとのこと。
平田氏は日本劇作家協会の理事会レベルでは反対の意見が多いと述べ、反対の意思表明をした。劇作品は二次利用が多いため劇作家はそのことを念頭に作品を作り上げるにもかかわらず、遺族のうちひとりでも著作権を行使し、上演を拒否すると上演自体ができない状況が現出する。現実問題として少子化の問題があり、遺族とは程遠い見知らぬ親戚が現れ、拒否する事態も起こりうる。遺族の心情に訴えかけるのはいかがなものかと、松本氏をとばして、三田氏の個人尊重論に反論。
富田氏は反対の立場として、青空文庫設立の経緯を話し、そのなかで起きた問題や利用者の意見を発表した。設立時に予測できなかったものとして、視覚障害者の利用者の意見からのテキストデータを点字の基礎データとする発想を享受したことや、本をめくれない人のツールとして役立っていることを述べ、健常者の枠を超えてデータを提供できたという。しかし、著作権保護が20年間延長すると、来年からアップするテキストやこれまでの蓄積したデータ6000タイトルの内半分が失われてしまうとのこと。このことは青空文庫が消失するのではなく、利用者が消失するのだと。
田中氏は経済学見地から、20年間延長した場合の出版物の経済的な利益の予測データを披露。著作権保護は短かろうが、長かろうが、経済的にはあまり変わらないのではないかと。またそのことは国によってもさまざま。

ひと通り、発表が終了し、ディスカッションへ。
三田氏はヨーロッパが保護期間が70年であるのに、なぜ日本は50年であるのかという素朴な疑問がある。著作権が長期間保護されたからといって創作意欲とは別物。

山形氏はクリエーター寄りに考えると、長くしたほうが良いと考えたりもするが、著作物はなるべく利用してほしいと考える。

平田氏はチエホフを例に、チエホフは若くして亡くなったため、演劇界は恩恵を受けたが、もし、長生きしていたら、チエホフの作品は古典でもなく、触れられないものとして存在し、演劇界は違うものになっていたかもしれない。遺族の主張は国民のコンセンサスを得られるのか疑問。

富田氏は著作者の生存している場合は、著作者が著作物を制限するのは意味があると思うが、没後は血縁の手に残すより、文化の川に残したいと主張。しかし、三田氏の"すこし褒めてほしい"という意見には賛同しないでもないと。芥川龍之介の「後世」を引用して説明。

松本氏は作家はお金のためだけに仕事しているわけではないと主張。残るものは残る、残らないものは残らないが信念としては長く残したい。そして家族を守りたい。70年というのは基本的な権利関係によるだけで、70年以上でも一向に構わないと考える。

富田氏は著作権利を出版産業だけにまかせるものではないと反論。

三田氏は青空文庫を95%認めるが、5%は困ることがあるため、認められないという。著作権が切れた作家の全集を制作する出版社の営業を妨害するため。全集は利益度外視で制作しているのだと。

このことについて富田氏は権利と利用のバランスをとるべきと反論。

司会の中村氏が著作権は世界標準として、経済的に統一したほうがよいのかと問題提起。

田中氏はこれに対し、国によってバラバラでかまわない。

平田氏は、日本は先進国のはずなのに、発想は後進国なみ。このまま行くと、保護期間は70年になりそうだ。ならば、今後著作権20年分は公的に使用すると内外に宣言すればよい。著作権問題がお金の問題でないならこの方法が、アメリカの圧力にも屈せず、一石二鳥、否、三鳥だ。

中村氏は遺族の問題を著作権でまかなうのはおかしいと思ってたが、この発想は良いと小気味良く賛同。うどん屋にも蕎麦屋にも遺族はいるのに、著作者の遺族だけがなぜ特別扱いされるのかとユーモラスに表現。

松本氏は作品はうどんではないと激怒。後進国という言い方も不満。ハングリーほどいいものがでてくるのだ。著作権は個人の意思で権利を主張すれば良いと結論づける。

その後、客席からの質疑応答で、ヒートアップ。

最後に総合司会が著作権保護延長反対派の海外の大学教授のメッセージを読み、それに関して、松本氏、再度激怒。「こんな終わりかたなら、次から出ない」と。

富田氏、気を使って、松本氏に意見を促す。これに対し、松本氏最後に「作家は永遠の浪人だ」 と再度主張。
このあと三田氏が出版の障害者向けの取り組みなどの話を付け加えた。

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簡単に発言内容を書きとめたのだが、
賛成派と反対派の著作権に対する意識の違いが露呈するばかりだと感じた。
しかも賛成派の著作権に対する意識は遺族年金かと思ってしまった。

松本氏は「ハングリーほどいいものがでてくる」と発言していたが、
遺族への保障は未知なる才能の飼い殺しにならないのだろうか。
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